北陸物語facebook ~『麒麟がくる』ゆかりの地をめぐってみませんか?~
北陸物語案内人の若井です。
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』を楽しみに観ている方も多いのではないでしょうか?
11月8日の放送で、以前ここでもチラッとお話しました敦賀の金ヶ崎城からの信長敗走のシーンが出てきました(11月15日の放送にも)。
織田信長と、信長に仕えていた徳川家康と木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の三英傑に、さらに明智光秀も加わった、3万といわれる史上最強の戦隊が、撤退するという歴史上の大きな出来事が福井県敦賀市で起こったのが、今からちょうど450年前でした。
朝倉攻めの拠点となったのが若狭と敦賀の国境近くにあった国吉城。ここは何度となく朝倉勢に攻められるも一度も落ちることがなかった難攻不落の城でした。
意気揚々とこの城を後にした信長らは金ヶ崎城を開城させるも、浅井長政の裏切りにあって、撤退を余儀なくされたのです。
信長を先に逃し、その殿を務めて活躍したのが木下藤吉郎と言われています。それを有名にしたのが、後の『太閤記』での「金ヶ崎の退き口」。しかし、実はさまざまな説があり、窮地に追い詰められた木下藤吉郎を徳川家康が救ったという説もあります。
撤退してきた軍も、難攻不落の国吉城までたどり着いて、ようやく一息つけたのではないでしょうか。
続日本の100名城に選定された国吉城は、往時の遺構をよく残し、麓には若狭国吉城歴史資料館があり、国吉城に関する資料などを展示しています。
この時、明智光秀は信長の家臣ではなく、幕臣の一人として参加しました。その活躍ぶりを記したものはほとんどなく(後に反逆者としてのイメージが定着して語られることが少なくなった?)、謎は多いのですが、その後の光秀の躍進ぶりをみると信長が高く評価するような実績を残したのではないかとする向きもあり、いろいろ想像をふくらませることができます。
福井県には一乗谷をはじめ、坂井市の称念寺、若狭町の熊川宿、そして今回紹介した金ヶ崎城と国吉城と、明智光秀ゆかりの地がたくさんありますので、ぜひめぐってみてはいかがでしょうか?
若狭国吉城歴史資料館 https://www.town.fukui-mihama.lg.jp/soshiki/30/
*写真は国吉城址本丸跡、国吉城址からの眺め、若狭国吉城歴史資料館(いずれも福井県観光連盟提供)