北陸物語facebook ~「明智光秀飛躍の地 越前の国②」明智神社、西蓮寺~
北陸イメージアップ推進会議、倫代です。
明智光秀は朝倉氏に仕えていた頃一乗谷朝倉館大手筋にあたる福井市東大味町に数年間住んでいました。
主君信長を討った逆臣という汚名を遺すこととなった光秀ですが、住民は光秀逝去後「光秀公坐像」を作り静かに守り続けました。
光秀は人々から慕われる人柄だったのでしょう。祠は明治期に入ってから建てられたそうですよ。
その後も光秀への非難は続きましたが、近年になって歴史的評価が変わり、光秀公命日である六月十三日には、毎年法要が営まれています。
「あけっつぁま」と呼ばれる小さな祠はひっそりと佇んでいます。お見逃しなく!
また、明智神社の徒歩圏内には西蓮寺というお寺があり、ここには光秀が柴田勝家と勝定に依頼した安堵状(2通)が残されています。
安堵状がなければ織田信長の一向一揆討伐でこの地区も焼き払われていたのだとか。
光秀が依頼した安堵状により住民は救われたとされ、命を救った書状として大切に保管されています。
・明智神社/西蓮寺 福井市東大味町
明智光秀ふくいゆかりの地MAPで確認
https://www.city.fukui.lg.jp/kankou/kankou/spot/p021608_d/fil/akechimap.pdf