北陸物語facebook ~室生犀星がこよなく愛した犀川~
北陸物語案内人の若井です。
写真は犀川沿いの桜坂から望む犀川大橋。大正時代に架け替えられた現在の橋は、東京大震災後に、金沢に疎開していた金沢出身の文豪・室生犀星も目にしているそうです。犀川の両岸の道は犀星が好んで散歩していたことから「犀星のみち」と名づけられています。
室生犀星は生まれてすぐに、犀川大橋のたもと近くにある雨宝院に引き取られました。
犀星といえば、『抒情小曲集』に収められた、次の詩が有名ですね。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
犀星は20歳で寺を出ると、しばらくは東京とを行き来をし、戦後は金沢に帰ってくることはありませんでした。この詩のとおり、ふるさと金沢のことを遠くに思いながら・・・。
犀星がなぜ金沢に帰ることをしなかったのか、その理由ははっきりわかっていませんが、不遇の出生などが何か影響していたのかもしれません。
もちろん、金沢が嫌いだったわけではなく、自分のペンネームに犀川の「犀」をつけるくらいですし、雨宝院にお金を送ったり、金沢の親類などに金沢の名物を送るように頼んだりしていたそうです。東京の家の書斎には犀川の写真が飾られていたとも。ちなみに、先の詩は、金沢で作ったのか、あるいは東京で作ったものかと、2つの説があるそうです。どこで作ったかにより、詩の持つ意味が微妙に違って来ますね。
2022.01.14