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大河ドラマ『麒麟がくる』放送開始。北陸に明智光秀ゆかりの地があります。/福井県

北陸物語案内人の若井です。

NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』が、いよいよ19日から放送開始となります。
明智光秀は、「三日天下」とか「裏切り者」と言われてきた時代も長かったのですが、最近ではかなりその見方も変わってきたようです。
どんな光秀が描かれるのか、今からワクワクしてきます。

そんな光秀ですが、北陸と深い関係があることをご存知でしょうか?
実は光秀の前半生というのは、謎が多く、いつどこで生まれたのかも、はっきりされていません。
その中でも、おそらく光秀が40歳になる前の10年間を、福井県坂井市にある称念寺というお寺の門前で過ごしていたことははっきりとしています。
光秀はこの門前で寺子屋を開いていたとも、医者をやっていたという説もありますが、つつましやかな暮らしをしつつ、再起のための準備をしていたと思われます。
10年間と言うと、かなり長い期間。きっと光秀のこの先の生き方にも大いなる影響を与えたのではないかと思います。
のちに光秀夫婦のここでの暮らしに想いを馳せ、松尾芭蕉が句を詠んでいます。

月さびよ 明智が妻の 咄(はなし)せむ

明智光秀の出身は美濃国の土岐一族で、土岐氏と朝倉氏とは長く親交があり、朝倉景義を頼って越前にやってきました。光秀は鉄砲指南役として朝倉氏に支えたという説もありますが、はっきりとはしていません。ただし、医学に関する高い知識を持っていたようで、医学を通じて朝倉氏と密接なつながりを持っていたということは、最近発見された史料からもわかってきたそうです。

こののち、光秀は室町幕府第15代将軍となった足利義昭に仕えて、また朝倉氏滅亡後には、織田信長に戦後処理を命じられ、一乗谷を訪れています。
栄華を極めた、そして灰塵に帰した一乗谷を、光秀は目の当たりにしました。
一乗谷の近く、福井市東大味町は一向一揆討伐の際、柴田勝家らが発した安堵状のおかげで戦禍から免れました。それを依頼したのが、この土地に住んでいたと光秀だったのではないかと言われ、住民が「明智神社」を建立して、今も光秀を敬慕し続けています。
越前での様子を探ると、今までとはイメージの違う光秀に会えそうですね。

さて、ドラマでは越前の光秀がどのように描かれるのか、それも楽しみですね。
これを機会に、福井県内の明智光秀ゆかりの地を訪ね歩いてみてはいかがでしょうか。

(写真は一乗谷朝倉氏遺跡の雪景色/提供=福井県観光連盟)

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