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展帆航行できる日本唯一の大型和船・復元北前型弁才船「みちのく丸」。2011年には北前船日本海文化交流事業で、北陸にもやってきた(写真提供/みちのく北方漁船博物館)

北陸の歴史 ニッポンを運んだ北前船

江戸時代、日本海沿岸各地と瀬戸内海を経て関西を結ぶ海路として「西廻り航路」(北前船きたまえぶね)が確立しました。北前船によってもたらされた富と人や物が、激動期の日本に与えた影響は計り知れません。

北陸の歴史を語る上で欠かせない北前船

一航海で千両の利益


富山市岩瀬の馬場家

江戸から明治中期にかけて、大坂(大阪)から瀬戸内海、山陰、北陸、東北を経て 北海道に至る西廻り航路に従事した北前船は近世物流の大動脈を担っていました。

この西廻り航路の生みの親は加賀藩三代藩主、前田利利常としつね公です。1639(寛永16)年、加賀藩の蔵米を効率的に大坂に輸送するため、日本海から山陰を回って関門海峡を通り、瀬戸内海を抜けて大坂へ至るルートを開拓、これが北前船航路の原型となったのでした。

北前船は荷物を運ぶ運賃を利益とするのではなく、船主が自分の才覚で荷を買い集め、寄港地で売りさばく今日の「商社」のような経営手法を特色としました。北前船が一航海するだけで千両の利益があったといわれ、北陸では一説によれば「倍(バイ)儲かる」ことから「バイ船」の名で呼ばれたともいわれています。北前船の寄港地や船主、船乗りなどが住んだところはいわば「商社基地」といえます。

航海の安全を祈願して地元の神社に奉納された船絵馬(加賀市 北前船の里資料館)

日本の大動脈には「西廻り航路」と「東廻り航路」があった。偏西風の影響で「西廻り航路」は流されても岸に着くので安全だが、東廻りは沖に流されるので危険だった。そのため、移送量の90%は西廻り航路だったという

歴史を動かす原動力

「海の豪商」と名を馳せた金沢の銭屋五兵衛ぜにやごへえは一代で巨万の富を築き、加賀藩の財政立て直しに大きく貢献します。晩年、河北潟かほくがたの埋め立て事業で投毒疑惑をかけられて獄死するものの、アメリカやオーストラリアにまで及んだ密貿易伝説にはロマンがあふれています。

また北前船は、日本を明治維新に導いた陰の立て役者ともいえます。江戸時代、財政難に陥っていた薩摩藩は中国で「不老不死の薬」として珍重されていた昆布の中国への密貿易で財政再建を図ります。その際、北海道から薩摩まで昆布を運んだのが「薩摩組」と呼ばれる越中富山の売薬商人の北前船でした。この密貿易によって財政を復興させた薩摩藩は紡績や大砲などの工場を建設して力を蓄え、明治維新の主役として表舞台に躍り出ます。北前船は裏方でしたが、歴史を動かす原動力となっていたのは間違いありま せん。

北前船で商才を磨いた船主たちは明治以降、その財を銀行、保険、運輸など、さまざまな分野に投資し、日本経済の発展に寄与していきます。


船を建造した船大工が、発注した船主に贈るために制作した北前船の模型(加賀市 北前船の里資料館)


九頭竜川の河口に栄えた三国港。丘の上の洋館はかつて三国にあった小学校を復元した「みくに龍翔館」

北陸の経済を支えた北前船

日本海に大きく突き出した能登半島は北前船の一大拠点でした。北前船は輪島塗や七尾和ろうそくなど能登のさまざまな物資を運んで販路拡大の役割を担い、地元に富をもたらします。明治に入り、今日の和倉温泉の基礎を築く開発にかかわったのが輪島市門前町黒島町で廻船問屋として栄えていた「濱岡屋」でした。北前船で得た巨利を独占することなく、積極的に地元に還元していたのです。

また、能登から越中に木炭を越中からわら細工を運搬したりして、当時は船を通じて能登と越中の交流が盛んでした。今でも放生津(新湊)には、輪島さんや能登さんなどの名前の家があります。

北前船が運んだ物資の代表に、北海道の昆布があります。総務省「家計調査」の都道府県庁所在地及び政令指定都市別ランキング(平成21〜23年平均)によると、昆布消費額で日本一となったのは富山市でした。富山は北前船の寄港地であり、北海道で採れた昆布が運び込まれているうちに、自然と昆布を多く食べる食文化が育まれていったのでしょう。富山だけでなく、ベスト5には金沢、福井もランクインし、北陸には昆布を使った郷土料理がたくさんあります。

北海道で獲れたニシンは食べるだけでなく、肥料としても大変重宝され、北陸に豊かな実りをもたらします。当時、ニシンはお金を払って買う肥料であることから「金肥きんぴ」という別名をもつ高級な肥料でした。


見事な装飾が施された船箪笥。船中で大切なものを入れたこの箪笥は海中に投げ出されても海に浮くように作られた(加賀市 北前船の里資料館)


富山県民に特に人気が高いのが羅臼(らうす)昆布

北前船の財がニッポンの発展に貢献

伏木ふしき港近代化の父」藤井能三


日本初の私立測候所として開設された伏木測候所。現在の高岡市伏木気象資料館は明治42年に建設された

北前船によって築き上げられた財は企業の創業や経済の近代化に大きく貢献しています。

藤井能三(1846―1913)は伏木小学校や伏木測候所を設立、伏木港の近代化を推進して「伏木港近代化の父」と呼ばれています。越中(現・高岡市伏木)の廻船問屋「能登屋」の長男として生まれた彼は20代前半、外国からの蒸気船が寄港して賑わう神戸港の様子を目の当たりにして新時代の到来を察知し、伏木港の近代化に情熱を捧げていきます。当時の伏木港は北前船の寄港地として重要な役割を担っていたものの、水深が浅く、座礁事故が絶えない港だったためです。

地元の協力を得て伏木港を整備した能三は当時、日本最大の汽船会社だった三菱汽船の社長・岩崎弥太郎に、伏木港に汽船を寄港してもらうよう交渉。これが奏功し、1875(明治8)年に三菱の汽船が伏木港に来航して航路が開かれます。また、1883(明治16)年には伏木港に出入りする船の海難事故を防ぐため、私財を投じて伏木測候所を設置しました。この測候所は2度の移転を経て、「高岡市伏木気象資料館」となった現在も日々、気象観測を続けています。

「金融王」安田善次郎


富山駅前の明治安田生命富山ビルに立つ善次郎の銅像。ビルの2階には善次郎の資料などを展示する安田善次郎翁記念室がある

富山県は明治以降、多くの企業の創業者など、日本の産業界をけん引する人材を輩出してきました。富山県人には北前船や売薬によって果敢に挑戦する開拓者の遺伝子が刻み込まれているのかもしれません。なかでも傑出した企業家といえるのが戦前、三井・三菱・住友・安田の四大財閥の一つに数えられた「安田財閥」の祖・安田善次郎(1838―1921)です。彼は安田銀行(現在のみずほフィナンシャルグループ)や生保、損保会社を次々と設立し、「金融王」とも呼ばれています。

富山藩の下級武士の子として生まれた善次郎は両替商から身を立て、安田財閥を一代で築き上げます。質素・倹約をモットーとしていましたが、これはと見込んだ人物と事業には惜しげもなく巨額の資金をつぎ込んで支援しました。

東京大学のシンボルとして知られる安田講堂は善次郎の寄付によって建築されたものですが、「寄付は名声を得るためではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で行っていたため、生前、これら寄付行為は世間に知られていませんでした。

「セメント王」浅野総一郎


土木学会選奨土木遺産、国の登録有形文化財、近代化産業遺産の登録を受けた小牧ダムは日本の近代化に大きく貢献

この善次郎のお眼鏡にかなった実業家の一人に、「セメント王」「京浜工業地帯の父」と称される浅野総一郎(1848―1930)がいます。

薮田村(現在の氷見市)で医師の子として生まれた総一郎はセメント事業にいち早く着目。その後、東京から神奈川に広がる海岸部に港湾と工場を一体化した日本初の臨海工業地帯の建設を計画します。この壮大な計画の支援に乗り出したのが安田善次郎でした。2人の関係は後に「浅野はエンジン、安田は石炭」と例えられていきます。

彼らは汽船会社を設立して太平洋定期航路を開拓。京浜工業地帯の埋立地には鉄道(現JR鶴見線)を敷設するなど、北前船の次の輸送、交通手段への投資を惜しみませんでした。1930年(昭和5)年には当時、「東洋一」と謡われた小牧ダムを二人の故郷・富山県の庄川に完成させています。インフラを整備することが日本の発展に欠かせないと考えていたのでしょう。

今も生きる北前船 そのゆかりの地を歩く

【とやま】 岩瀬いわせ


馬場記念公園にある馬場はるの銅像

明治期、北陸の「北前五大船主」の一人に数えられた馬場家のお膝元である富山市岩瀬。馬場家といえば、北前船で得た財で現在の富山大学の基礎をつくるとともに、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の蔵書計2,443冊を寄贈した馬場はるがつとに有名です(蔵書は現在「ヘルン文庫」として富山大学で大切に保存されています)。富山駅北からスタイリッシュな路面電車・富山ライトレールか、あるいは富山駅近くの富岩運河環水ふがんうんがかんすい 公園から富岩運河を県・市が運行するソーラー船、電気ボートで行くと、廻船問屋の面影を残す屋敷や老舗料亭をはじめとした古い町並みが迎えてくれます。北前船廻船問屋だった森家は国の重要文化財に指定され、屋内の見学ができます。また、初代が北前船で北海道旭川に渡って酒造業を起こし、1905(明治38)年に現在の地に戻ったいう酒蔵も目を引きます。

幕末、海難事故で米国捕鯨船に救助され、ハワイやアラスカなどを経て帰還した米田屋次郎吉が乗った長者丸は、ここ岩瀬の船でした。


北前船廻船問屋森家


岩瀬大町通り。銀行も古い町並みに溶けこむ

【北前船廻船問屋森家】
富山県富山市東岩瀬町108/TEL:076-437-8960
休館日/年末年始 観覧料/大人100円、子供50円 アクセス/富山ライトレール岩瀬浜駅から徒歩10分

【とやま】 伏木ふしき


伏木の高台にある広大な勝興寺(国の重要文化財)

「とろろ昆布のおにぎり」はコンビニやスーパーなどでも手に入る。昆布食文化が根付く高岡市では「高岡昆布飯」と称し、昆布を使ったご当地グルメをPR(詳細はこちら

富山県高岡市の北部、小矢部おやべ川河口に位置する伏木。奈良時代には万葉集の編者で歌人の大伴家持おおとものやかもちが国守としてここに赴任してたくさんの歌をみました。早くから、日本海側有数の港として発展し、江戸時代以降は、北前船で大いににぎわいました。藤井能三の尽力によっていち早く近代化された伏木港は、現在は伏木富山港となって日本海側屈指の国際拠点港湾の役割を果たしています。

町を歩けば、北前船が行き来していた往時の繁栄ぶりを偲ばせる町屋や洋風建築が残り、伏木北前船資料館の市内で唯一残っている望楼に上れば、港を出入りする船を見ることもできます。宮㟢駿監督が尊敬する芥川賞作家の堀田善衛ほったよしえは、伏木の有力廻船問屋の一つ「鶴屋」堀田家の出身でした。

JR氷見線で伏木駅から2駅、義経伝説が残る雨晴あまはらし海岸は、晴れた日は立山連峰を望める景勝地。北前船によってもたらされた昆布が暮らしに根付いた富山を代表する「とろろ昆布のおにぎり」を持って足を延ばしたい場所です。


北前船の廻船問屋だった旧秋元家は伏木北前船資料館として公開されている


伏木北前船資料館では全国的にも珍しく望楼に登ることができる


伏木北前船資料館の望楼

【伏木北前船資料館】
富山県高岡市伏木古国府7-49/TEL:0766-44-3999
休館日/毎週火曜日(火曜日が国民の休日にあたるときはその翌日)
年末年始(12月29日~1月3日)
観覧料/大人210円、勝興寺と高岡市伏木気象資料館との共通券500円
アクセス/JR氷見線伏木駅から徒歩10分

【いしかわ】 橋立はしだて

北前船の船主や船頭、船乗りが住んだ加賀市橋立は、明治から大正時代、「日本一の富豪村」と称されました。町中心部には盛時の町並みが保全されており、船板を再利用した板塀など屋敷の外見は一見質素な印象ですが、内部の豪華な造りは目を見張るものがあります。

また、橋立の町並みを歩くと赤瓦の屋根の立派な家をよく見かけます。赤瓦とは黒瓦より古い時代に作られたもので、当時、瓦はとても高価でかやぶき屋根の家が一般的でしたが、橋立の住人は財力があったので、多くの家が赤瓦屋根の家を建てられたというわけです。

橋立には北前船の里資料館や北前船主屋敷「蔵六園ぞうろくえん」があり、近くに景勝地・加佐ノ岬もあります。また、すぐ近くに橋立漁港があり、周辺には水揚げされたばかりの魚介を食べさせてくれる磯料理の店が並んでいます。


北前船主屋敷「蔵六園」

白亜の灯台と青い海が美しいコントラストを描く加佐ノ岬


赤瓦の家並みの向こうに日本海を望む橋立(重要伝統的建造物群保存地区)

【北前船の里資料館】
石川県加賀市橋立町イ乙1-1/TEL:0761-75-1250
休館日/無休 観覧料/大人310円 アクセス/北陸自動車道片山津ICから車約7分

【北前船船主屋敷「蔵六園」】
石川県加賀市橋立町ラ47/TEL:0761-75-2003
休館日/無休(臨時休園あり) 観覧料/大人400円、小学生以下200円
アクセス/北陸自動車道片山津ICから車約5分

【いしかわ】 金石かないわ大野おおの(金沢)

金沢市にあり、加賀の豪商として名高い「海の百万石」銭屋五兵衛の本拠地・金石と、そのライバルともいえる木谷藤右衛門が拠点とした大野。隣接する2 つの町には歴史を感じさせる古い町並みが続きます。金石の「銭屋五兵衛記念館」には4分1サイズの北前船の模型や大錨などや、銭屋五兵衛の波乱万丈の生涯を学べる展示があります。


趣のある家並みが続く金石界隈

銭屋五兵衛記念館

北前船により、麦や大豆、塩といった原料がもたらされた大野は藩政時代から続く醤油の産地として栄えました。そんな大野ではキャラメルのような味わいが病みつきになる一風変わった名物・醤油ソフトクリームが人気です。幕末の科学技術者・大野弁吉を中心に紹介するのが「大野からくり記念館」。大野弁吉は銭屋五兵衛のブレーンでもありました。


金石銭五公園には海を見つめる銭屋五兵衛の銅像が立つ(左)。
濃厚な味わいがたまらない醤油ソフトクリーム(右)

【銭屋五兵衛記念館】
石川県金沢市金石本町ロ55/TEL:076-267-7744
休館日/12月1日~4月末は毎週火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)。
5月1日~11月末は無休
アクセス/北陸自動車道金沢西ICから車約7分

【大野からくり記念館】
石川県金沢市大野町4丁目甲2番29/TEL:076-266-1311
休館日/毎週水曜日(祝日の場合は翌日) 観覧料/大人300円、小中高校生200円
アクセス/北陸自動車道金沢西ICから車約20分

【ふくい】 河野こうの

北前船で富を築いた船主たちの豪壮な屋敷が建ち並ぶ福井県南越前町の河野。国道沿いの狭いエリアには帯のように集落が続き、国道に並行する村の旧道沿いには北前船の船主や船頭の屋敷や蔵が軒を連ねます。

ここを本拠とした「北前五大船主」の一人、右近うこん家の邸宅は「北前船主の館」として公開されています。旧道をはさんで、山側に本宅と3棟の内蔵、海側に4 棟の外蔵が建ち、けやきや桧の太い柱の本宅の豪華な造りには目をみはります。本宅背後の高台には「西洋館」と呼ばれる別荘があり、バルコニーからの眺望が見事です。

「 船底一枚下は地獄」の生活をする船乗りたちは信仰が厚く、八幡神社や磯前神社には船主や船乗りが航海の安全を祈願して奉納した数多くの絵馬が残っています。


北前船主の館 右近家


敦賀湾の入口にあり、山々が海に迫りわずかな平地に家々が密集する河野

【北前船主の館 右近家】
福井県南条郡南越前町河野2-15/TEL:0778-48-2196
休館日/毎週水曜日、8月第1日曜日の前4日と後3日の8日間、年末・年始(12月27日~1月4日)
観覧料/大人500円、小人300円 アクセス/JR武生駅からバス約30分

【ふくい】 三国みくに


三国の名物で、もともと北前船の船乗りたちから製法を学んだと伝わる酒まんじゅう。昔ながらの製法で作られ、素朴なおいしさ。仕上げに押される焼き印は店によって異なる

明治時代に廻船業から転換をした森田三郎右衛門が創業した森田銀行(後に福井銀行と合併)。写真の旧森田銀行本店は大正時代に建築された


出村遊郭街だった入口にかかる思案橋

九頭竜川の河口にあって北前船の寄港地として繁栄を極めた福井県三国町。格子窓の連なる古い町並みが見事に残っており、そこを歩くとタイムスリップしたように感じられます。三國湊座や旧森田銀行本店、出村遊郭街など往時を想像しながら、そぞろ歩きするのも一興でしょう。

三国港を見渡す丘の上に建ち、北前船に関する資料も多く展示する「みくに龍翔館」の建物は、三国湊が最も栄えた1879(明治12)年にオランダ人技術者、エッセルによってデザインされた小学校を模して復元したものです。この小学校の建設や、九頭竜川河口で今も現役で使われる日本初の西洋式捨石防波堤「エッセル堤」(国の重要文化財)などは、三国の往時の繁栄ぶりを如実に物語っています。

幕末の四賢と称され、坂本龍馬を支えた越前藩主の松平春嶽しゅんがく公は、三国で洋式大砲の製造を始めました。維新後は新政府で重職を歴任した春嶽公がこよなく愛した料理旅館の「望洋楼」には彼のゆかりの品々が残されています。

北前船の船乗りから製法を学び、いまに伝わる酒まんじゅうは三国を代表する味わいです。


エッセルが設計し、富山県の常願寺川河川改修でも功績を残したデ・レーケが工事を指揮して1882(明治15)年に完成したエッセル堤。
三国サンセットビーチからの眺めが美しい


旧森田銀行本店

【みくに龍翔館】
福井県坂井市三国町緑ヶ丘四丁目2-1/TEL:0776-82-5666
休館日/毎週水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
アクセス/えちぜん鉄道三国駅下車、徒歩10分

【旧森田銀行本店】
福井県坂井市三国町南本町3-3-26/TEL:0776-82-0299
休館日/毎週月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始(12月29日~1月3日)
観覧料/無料 アクセス/えちぜん鉄道三国駅から、徒歩約7分

歴史ロマンにあふれる北前船の歴史をひも解き、往時の面影が残る北陸へ旅してみませんか。

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