北陸物語

北陸デスティネーションキャンペーン 2015.10.1~12.31

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伝統産業が息づく古き町

北陸には古き良き姿を残しながら、その場所を支えた伝統産業も受け継がれている町があります。

一例として、富山県高岡市金屋かなや町、石川県金沢市大野、福井県越前市旧今立いまだて町エリアが挙げられます。いずれも「レトロ」な風景が残っていることに加えて、今も続く伝統文化・産業で発達した町です。金屋は「鋳物いもの」、大野は「醤油」、今立は「和紙」。それぞれの産業の間には何のかかわりもないものの、その落ち着いた風情と職人気質は似通っているといえるでしょう。

それぞれのエリアの歴史と特徴について説明します。

世界に誇る銅器の職人街の風情が今も残る

高岡の金屋町は鋳物の街として有名で、今では高岡は世界に誇れる銅器の一大産地として知られています。その歴史は非常に古く、約400年前にさかのぼります。加賀二代藩主・前田利長が隠居し、慶長14年(1609)に高岡を開町、その翌々年に7人の鋳物師いもじを金屋町に移住させたことから、その歴史は始まります。彼らは諸役を免除される特権を与えられ、鍋や釜の日用品、 すき くわ の農耕具といった鉄鋳物を生産し続け、加賀藩の庇護も受けたことから全国でも最大規模の鋳物師集団となりました。

銅器生産が始まったのは江戸時代中期の宝暦・明和年間(1751~72)ごろ。釣鐘や仏像など仏具の製造を皮切りに銅器・鉄器の製造が盛んになり、江戸時代後期には全国的な販路を獲得しました。さらに明治期に入り加賀藩の庇護や諸役免除がなくなっても、その確かな技術力をもとに銅器を中心として火鉢や置物などの生活用品も製造、それらが海外の博覧会に出展され「高岡銅器」として世界的な知名度を得るまでに発展。現在に至っても銅器の国内生産額の9割近くを占めている、富山県を代表する伝統工芸です。また、奈良、鎌倉と並んで日本三大仏のひとつに挙げられることもある高岡大仏は木造だったため幾度となく焼失する憂き目に遭いますが、昭和7年(1932)に高岡銅器の職人が再建、今にその姿を残しています。

この高岡銅器を代表する職人街として発展してきた金屋町は、現在も昔ながらの姿を残すエリアです。「さまのこ」と呼ばれる千本格子がある家々と石畳というレトロな町並みが500m近く続きます。また、石畳に銅片が埋められたり、軒に張り出した桁に銅板が使われたりと、この町ならではの特徴が垣間見えます。今は銅器製造元の直営店に加えて飲食店などもあり、散策が楽しめます。


高岡銅器の制作風景


高岡銅器の作品例

かつてはこの家々で家内工業として鋳物がつくられていましたが、現在では多くの銅器職人は別の場所に工房を構えています。それでも「鋳物の町」としての風情が残り、平成19年には通りの一角に高岡市鋳物資料館が開館するなど歴史の伝承にも努めています。往時を彷彿 ほうふつとさせる町並みを散策しながら、いろんなお店も覗いてみてはいかがでしょうか。

古き町家・蔵が残り、醤油と潮の香りただよう港町


大野の町並み

石川県の金沢にも、伝統と産業が同居する町があります。中心部から車で20分ほど離れた大野です。海沿いにあり、金沢港にほど近いこの町は、醤油の製造が盛んな場所として知られています。大野醤油の特徴は「うまくち」と呼ばれる味。甘口ながら、うまみもしっかりそなえており、素材の持ち味を活かしてくれます。この醤油が、金沢の食を陰で支え、ひいては加賀料理の誕生に貢献したといえるかもしれません。

その歴史は江戸時代、約400年前に始まりました。加賀三代藩主・前田利常に醤油づくりを命じられた大野の町人・直江屋伊兵衛が、醤油の産地(場所は諸説あり)で修行し製造技術を習得、金沢に戻ってからそれを広めたとされています。以来醤油の一大産地として発展し、伊兵衛直系の子孫が開いた蔵をはじめ、江戸時代後期には60軒近くの醤油商があり、領内に販路を持っていたそうです。現在に至るまで醤油製造は続き、今も30軒近くの蔵があります。そしていくつかの蔵は直販店を運営、店頭で醤油の味見もできます。


改装されギャラリーカフェになっている古い醤油蔵

この大野には木虫籠組きむすこ(格子戸の別称)が取り入れられた港町の町家が残り、今も改修されながらその姿を維持し続けています。そして使われなくなった蔵も取り壊されることなく、飲食店などに活用されています。その中には地元の商工振興会が運営しているギャラリーカフェもあり、なんとそこでは「しょうゆソフトクリーム」をいただくことができます。その名の通り醤油が練り込まれたソフトクリームで、まるでキャラメルのような風味で人気があります。大野を訪れた際には、ぜひ味わいたい逸品です。


大野の醤油(左)。海のすぐそばにある大野の町(右)

このように、大野の町は伝統を継承しながらも時代に合わせた取り組みを行い、往時の味と姿を今に残しています。潮と醤油の香りが混ざるレトロな港町を、ぜひ歩いてみてください。

“日本一の紙”越前和紙をはぐくんだ町

そして福井の伝統文化が息づく古き町の代表は、越前市にあります。美濃、土佐と並んで「日本三大和紙」のひとつに数えられる越前和紙。旧今立町(現越前市)がその産地として知られています。この和紙は約1,500年前、今立の岡太 おかもと川の上流に美女が現れ、村人に紙すきを教えたという伝承があります。その後この美女は「川上御前」と呼ばれ、岡太神社にまつられるようになったという話が伝わるものの、正確な紙すきの発祥ははっきりとはしていません。それでも鎌倉時代には、現在の組合にあたる紙座が大滝寺の保護のもと結成され、織田信長によって同寺が廃されたあとも歴代権力者によって守られてきました。江戸時代には福井藩が全国に先駆けて幕府に製造許可をもらった藩札も越前和紙だったといわれるほか、江戸時代後期の経済学者・佐藤信淵 のぶひろが著書『経済要録』で「凡貴重なる紙を出すは、越前五箇村を以て日本第一とす」と記しているように、"日本一の紙"として知られました。近代に入っても横山大観を始めとした多くの芸術家たちに強く支持されるなど、一流を知る人たちに愛好され続けてきました。

この伝統の技術は現代に至っても着々と受け継がれており、手すき和紙の生産量も種類の多さも日本一。今も昔も「和紙の里」であり続けています。

見どころは「五箇ごか地区」と呼ばれるエリア。高級手すき和紙の製造業者の家々が立ち並び、昔ながらの風情を残しています。しかもその多くが、今も手すき和紙の工房として稼働しています。平成18年には「次世代に継承すべき美しい日本の歴史的風土が良好に保存されている地域」として、「美しい日本の歴史的風土100選」(財団法人古都保存財団主催)に選ばれました。

そしてこの五箇地区から徒歩15分の距離にある「越前和紙の里」は、和紙づくりが見学できる施設「卯立の工芸館」や和紙づくり体験ができる工房「パピルス館」、越前和紙の歴史を紹介した「紙の文化博物館」などがある複合施設で、越前和紙の奥深さに触れることができます。もちろん和紙製品や和紙の購入も可能です。

さらに春と秋には、無形民俗文化財「神と紙の祭り」が開かれます。誰でも見学でき、紙能舞と紙神楽等の伝統芸能が奉納されるほか、今立のシンボルロードである「和紙の里通り」でさまざまなイベントが実施されます。

その確かな技術を現代に伝え、維持し続けている越前和紙。今立ではそのすばらしさに触れられる施設・イベントもあり、古きよき町並みの散策も楽しめます。

北陸の伝統を残す町で文化と風景を楽しむ


越前和紙の里では和紙の製作体験も可能

これらの地域は歴代権力者に守られ、その伝統の技を伝えてきました。それらの庇護があったとはいえ、確固たる技術力とそれを着実に継承し続ける"北陸人気質"があったからこそ、今も伝統を守り産業として存続し、町並みもかつての姿を残しているといえるかもしれません。それは、都市化が進みきっておらず、伝統文化が残る北陸の特色といえるのではないでしょうか。そしてこれら3つの町以外にも、歴史あり文化が伝わる町がたくさんあるのです。

北陸ならではの「伝統文化が息づく古き町」を、ぜひ訪れてみませんか。


今も愛される越前和紙


古き良き町並みが残る今立

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